HTK 本多通信工業

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社長メッセージ

HTK 本多通信工業株式会社は、1932年(昭和7年)に精密ねじの加工業を営む本多螺子製作所をルーツとして、関係の皆さまのご支援とご鞭撻により、戦中・戦後の荒波を生き抜き、通信の急速な発展とともに成長し、そしてバブル崩壊なども乗り越え、コネクタの先端メーカとして今日を迎えています。80余年の社業を支えて下さった、お客様をはじめとする関係者の皆さまに、厚く御礼申し上げます。

さて、当社は2008年の松下電工株式会社(当時、現パナソニック株式会社)との資本業務提携を機に、新たな成長フェーズに入りました。中堅メーカとしての強みと弱みを再認識した上で、特徴が活かせる複数のニッチ分野でトップを狙う “Segments No.1”を基本戦略に、主力の通信やFA分野では少量短納期を磨き上げるとともに、長期信頼性と堅牢性を発展させて車載分野へ事業領域を拡げています。

2015年には、”Value by Connecting”をブランドステートメントとするグループ企業理念を制定しました。ハードやソフトをつなぐだけでなく、さらに人と人とをつなぐことにより、社会の発展に資する価値を創造することをグループの使命といたしました。

私たちは、この企業理念をベースに、社会から信頼と期待をいただける“よい会社”を目指して、継続的に精励努力してまいります。引き続き、ご支援を賜りたく、お願い申し上げます。

代表取締役社長 佐谷 紳一郎

社長BLOG:佐谷紳一郎の「日々新た」

佐谷社長の略歴

パナソニック電工(現パナソニック)の畑中浩一社長(当時)には公私にわたりご指導をいただきました。

1957年(昭和32年)、大阪生まれ。
大学で専攻した財政学で学んだ“公平、公正、効率”を判断尺度に、1981年松下電工(パナソニック電工へ社名変更、その後パナソニックに経営統合)へ入社。

入社8年目に、基幹システムの構築プロジェクトに参画。
ビジネス知識や本社部門の人脈が次ステップの糧となりました。

提携後のHoPプロジェクト(コラボ委員会)で、両社の橋渡し役を担いました。

1995年に制御機器部門で、事業企画を担当。
役員側近として、2001年のITバブル崩壊などで 経営者の視座を実感しつつ、経営の妙味を知りました。

2000年頃から国内外の様々な企業との提携に注力。
提携後の対応の大切さを痛感。2008年の当社と松下電工との資本業務提携では、松下電工側の窓口を担当しました。

イギリスの現地法人にて。国境を越えてグローバルにHTKマインドを従業員に伝えています。

2009年パナソニック電工を退社し、当社に転籍。
2010年に社長就任するとともに中期計画“Plan80”を策定、“Segments No.1”を基本方針に黒字化を図りました。

2015年には、グループ企業理念を制定するとともに、過去最高業績の更新と、真の“よい会社“を目指す中期計画”GC20”を推進中。

佐谷社長のプロフィール


月に何度も開催している社長宅での懇談会は、人と人をつなぐ場です。
  • 本社のすぐ近くで単身赴任の生活。お客様や従業員を招いた手づくりパーティを月に数回、開催。多様な人との会話が気づきの源泉です。
  • 社内ブログで200件/年を超える発信。内容は業績や施策の説明だけでなく、時事やスポーツなど幅広い。私が何を考え、感じているのか?を開けっぴろげです。
  • “説明責任の全う”が信条。物事の成就の決め手は関係者を巻き込む力。すべてのステークホルダーの皆さんに対して、納得いただける説明を心掛けています。
  • ”日々新た”が座右の銘。今に満足することなく、常に進化することを重視。朝令暮改もなんのその。
  • 常にPCを携帯するベテラン・モバイラー。仕事の速さは社内No.1。 振り子列車の中でもパワポ作成ができる特技を持つ。電子メールは、書いても読んでも、すぐゴミ箱。受信、送信ボックスは常に空でないと落ち着かない。
  • 企業の継続性の要は人材。人材育成こそが経営者の責務と心得、自ら研修のファシリテータを務める佐谷塾やニューリーダー研修に注力しています。

松本山雅FCは企業スポンサーとしてだけではなく一個人としても応援しています。

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